沖縄料理・あわもり ゆうなんぎい

沖縄料理の名店「ゆうなんぎい」の味を名古屋で愉しめる

★2024年9月9日(月)オープン★ 沖縄郷土料理あわもりゆうなんぎい 東桜別邸

沖縄郷土料理あわもりゆうなんぎい 名古屋鶴舞店

「ゆうなんぎい」は沖縄の食の激戦区・国際通りで50年以上続く
家庭の味を愉しめる沖縄料理のお店です

純血統種アグーしゃぶしゃぶコース

沖縄「ゆうなんぎい」ってどんなお店?

沖縄で50年愛される家庭料理の名店

人口あたりの飲食店数が全国でも最も多い沖縄県。その中でも那覇市は最もその数が多い、いわば「飲食の激戦区」です。
通常、3年ぐらいの周期でお店が頻繁に入れ替わるこの地で、50年以上お客様に愛され続けているのが「ゆうなんぎい」です。

沖縄のゆうなんぎいは、繁華街である国際通りや県庁・市役所などに囲まれたところにあるため、地元客から観光客まで幅広くご支持いただいています。
また、沖縄では外食の際に順番待ちすることが少なく「待つぐらいなら、他のお店に行く」ことが多いのですが、ゆうなんぎいは地元で「いつ行っても人がいっぱいでなかなかは入れない人気店」として知られています。

メニューの中心は「ゴーヤーチャンプル(ニガウリの炒め物)」や「沖縄そば(ソーキそば)」「ラフテー(豚の角煮)」といった沖縄の家庭料理です。

料理を監修するオーナーの辻野愛子氏は「たかがチャンプル(炒め物)されどチャンプル」と口癖のように語り、誰でも簡単に作れる家庭料理を売り物にするからこそ、独自の味を作るために研究を重ねました。

祖母、母親から料理を習い、沖縄の郷土料理の本や料理学校で調理を学び、他店の料理を食べ歩くことで味付けを研究。こうした努力の結果、味の評判が高まり、時には女性向けの料理指南も行います。

沖縄のゆうなんぎいは主婦がお店を切り盛りし、味付けが変わらないよう担当者を決めています。また、同じスタッフが料理を作り続けても、時には味が変わることがあるので、オーナー自ら時々試食をしながら味を確認し、状況によっては作り直すことも。

このように手間暇かけて作り上げた料理を素早く提供するのも「ゆうなんぎい流」。
メニューの中心となる炒め物は、時間が経つと野菜の歯ごたえなどが失われ、美味しさが半減します。
このため、仕込みで全ての具材を用意しておき、注文が入ったら素早く提供します。

家庭料理は「簡単な料理」と思われがちなため、材料には気を遣います。
チャンプル(炒め物)にはニガウリ、ナス、ニラなど野菜類を多く使うが、その日に農家が出荷した新しいもののみを使用。
また、沖縄そば(ソーキそば)には骨付きの豚バラ肉を使うのが伝統ですが、他店では安価な豚の軟骨を使うことも多いですが、ゆうなんぎいでは頑固に骨付き豚バラ肉を使い続けています。

価格と味と質に徹底してこだわり、更に地元のお客様に満足いただくことを第一としてきたことが、飲食激戦区の那覇市・国際通りで支持され続けた大きな理由です。

名古屋・鶴舞、東桜の「ゆうなんぎい」はどんなところ?

名古屋・鶴舞の駅前と東桜にある「ゆうなんぎい」は、本場の味をそのままに沖縄料理を揃えています。

ゴーヤチャンプル、ラフテー、グルクン唐揚げ、島ラッキョウ、海ブドウやフーチバージューシーなど。
一品料理のほか、セット定食もご用意していますので、しっかりと夕飯を摂っていただいてもOK。
もちろん、店名のとおり泡盛や古酒、オリオンビールも用意しておりますので、本場沖縄の美味しい家庭料理とお酒で楽しいひと時をお過ごしください。

「ゆうなんぎい」の想い

泡盛と沖縄郷土料理のお店が誕生

沖縄のゆうなんぎいが開店した年はまだドルの時代で、当時沖縄そばは「そば(すば)」と呼ばれ一杯15セントで出され、出汁が見えないほど麺がぎっしり入っていました。

当時20代の私は「お客様にお出しするからには美味しくしたい」と出汁にこだわりました。
そして、美味しくできた出汁を通常の2倍もある大きな器にたっぷりと注ぎ、それまでの「そば」を「沖縄そば」と銘打って25セントで出しました。
泡盛と郷土料理の誕生の瞬間です。

開店当時、泡盛・郷土料理をうたった飲食店は、私の記憶している限りほとんど無かったように思います。
何しろ当時はウイスキー全盛時代で「泡盛では商売にならない」という声を聞いたものです。
元来、料理を作ってお友達やお客様に食べてもらうのが好きで、言ってみれば趣味が高じて始めた商売です。
家庭料理は“お母さんの味が一番”という時代で、「誰がチャンプルーにお金を出すか」とバカにされたものです。

しかし、全てが手作りで、より美味しくをモットーに祖母・母親から料理を習い、沖縄郷土料理の本を読み、料理学校に通い、他店の料理を食べ歩いて味付けを研究したのです。

沖縄料理店がぼつぼつでき始めたのは本土復帰後です。
地元のお母さんに交じって、本土からの転勤や出張でいらっしゃる方のたまり場でした。

本土の方はミミガー、ラフティー、テビチなどメニューを見ただけでビックリ。
「こんなもの食べれるんですか」と尋ねられるたびに「沖縄料理は美味しいですよ」と一品一品丁寧に料理法を説明して、召し上がっていただきました。
最初は怪訝そうにされている方も一口召し上がって「あれ?美味しい」と表情が変わり、お皿が空になっていく様子、これが私たちが一番嬉しい瞬間でした。
「沖縄料理がこんなにおいしいとはビックリした」という言葉を聞くにつれ、ますますヤル気が出てきたものでした。

女性のお客様から作り方を問われたりしました。
また、地元の常連さんのご紹介で観光の方も増えていきました。

そのうち何処で誰に聞いたのか、こんな小さな店に本丼雑誌や新聞、テレビ・ラジオと数多くの取材があり、驚きと戸惑いの中で応じたものでした。

今では「このような料理を食べているから長寿県なんですね」と褒めてもらうことも多くなりました。泡盛と郷土料理がこれほどまで見直されるとは夢にも思いませんでした。

50年間、毎日お客様の誤解を払拭することに精一杯でしたが、こんな嬉しい言葉を掛けてもらえる時代が来るとは本当に嬉しい限りです。

現在、ランチタイムは多くの常連さんにご利用頂いているのですが、夜は国内の観光のお客様だけでなく、多くの外国の方がオープン前から閉店まで並んでいただくようになりました。
「行列のできる店」と皆に言われるようなり大変嬉しいことですが、反面地元の常連さんが入れなくなり、大変ご迷惑をかけて申し訳ないという気持ちでいっぱいです。
50年頑張ってこれたのも素晴らしいスタッフに恵まれていたことと、常連さんの応援と激励のおかげと感謝しています。
「おいしかったよ、また来ます」という言葉に支えられ50年やってこれました。
本当に有難うございます。

沖縄「ゆうなんぎい」 オーナー 辻野愛子

ゆうなんぎい50周年記念誌
「おかげさまでやっと50年」より一部抜粋・編集

「ゆうなんぎい」のあゆみ

年代 ゆうなんぎいのあゆみ 沖縄県内外の出来事
1970 ゆうなんぎいの前身「民芸茶房ゆうな」オープン 日本国政参加選挙
1972 ウェディング 掲載 沖縄県の日本返還
1974 家庭全科 掲載 沖縄県条例で慰霊の日が制定
1975 「ゆうなんぎい」オープン 那覇・首里間でバス専用レーン開始
anan 掲載 沖縄県国際海洋博覧会開催
1979 沖縄サントリーの広告に 掲載 東京サミット開催
1980 建替えに伴いリニューアルオープン 日本がモスクワオリンピックに不参加
1981 沖縄タイムス 掲載 ヤンバルクイナ発見
1985 木造り仕様へ改装 第1回NAHAマラソン開催
1986 the HOTEL 掲載 沖縄県立芸術大学開学
1991 dancyu 掲載 パレットくもじオープン
1992 沖縄県飲食業環境衛生同業組合・功労賞 表彰 首里城正殿が復元
1994 TV番組「土曜ワイド劇場」の撮影ロケ地 初の純国産大型ロケットH2の1号機打ち上げ
1995 日経レストラン 掲載 阪神・淡路大震災
1996 沖縄県飲食業環境衛生同業組合・功労賞 表彰 ゆいレール開通着工
1997 沖縄県環境衛生同業組合連合会・功労賞 表彰 消費税率アップ(5%)
1998 オレンジページ 掲載 明石海峡大橋開通
沖縄県環境衛生業界・功労賞 表彰 サッカーW杯に日本代表が初出場
上記について醸界飲料新聞 掲載
1999 「沖縄そばの日」として琉球新報 掲載 沖縄尚学高校が春の選抜で県勢初優勝
2000 九州・沖縄サミットの海外用沖縄県紹介ビデオ出演 九州・沖縄サミット首脳会合が沖縄県で開催
九州・沖縄サミット開催にあたりLosAngeles Timesより取材 琉球王国のグスクなどが世界遺産に登録
2001 八重山毎日新聞の一面コラムで紹介 愛子さま誕生
沖縄県飲食業環境衛生同業組合・永年勤続優良従業員 表彰(1名)
2003 小説「ROUGE(柳美里さん著)」に「ゆうなんぎい」が登場 ゆいレール開通
Ozmagazine 掲載
2004 全国飲食業生活衛生同業組合連合会・功労賞 表彰 てんぶす那覇開館
MOCOS 掲載 20年ぶりに新紙幣が発行
飲食だより 掲載
2005 沖縄スタイル 掲載 郵政民営化法成立
寄贈に伴い那覇市教育委員会より感謝状 授与 平成の大合併でうるま市誕生
おとなの週末 掲載
2006 一個人 掲載 普天間代替基地のV自滑走路案で日米合意
TV番組「探偵!ナイトスクープ」より取材 第1回WBCで王ジャパン優勝
「ゆうなんぎい 横浜関内店」オープン 悠仁さま誕生
楽園沖縄 掲載
2007 prost! 掲載 沖縄県立博物館・美術館開館
2008 別冊家庭画報 掲載 リーマン・ショック
2009 赤坂サカスにて開催「春だGO!GO!沖縄キャンペーン」に出店 裁判員制度開始
2010 沖縄県飲食業環境衛生同業組合・生活衛生功労者賞 表彰 沖縄本島近海で地震発生(約100年ぶりの震度5以上)
2012 那覇市観光功労者・那覇市長 表彰 尖閣諸島国有化
2014 別冊家庭画報 掲載 消費税率アップ(8%)
2015 沖縄県飲食業環境衛生同業組合・永年勤続優良従業員 表彰(1名) 伊良部大橋開通
上記について琉球新報 掲載
2019 沖縄県飲食業環境衛生同業組合・永年勤続優良従業員 表彰(2名) 火災により首里城正殿などが焼失
2021 「沖縄郷土料理 あわもり ゆうなんぎい 名古屋鶴舞店」オープン 東京オリンピック開催
2024 「沖縄郷土料理 あわもり ゆうなんぎい 東桜別邸」オープン 能登半島地震

名古屋・鶴舞、東桜の「ゆうなんぎい」店舗情報

「沖縄郷土料理あわもり ゆうなんぎい名古屋鶴舞」は、沖縄・国際通りで50年以上続く「ゆうなんぎい」の料理をお届けしています。

店名の「ゆうなんぎい」は、「ゆうな(オオハマボウ)の木」の方言名です。

台風が多く、冬の季節風が強く吹く沖縄の浜沿いで力強く生きる木です。
葉はハート型で、花は咲きはじめは黄色く、お昼には美しいオレンジ色になり、夕方に散ってしまう愛しい木です。

また、「ゆうなの花」は秋篠宮家第二女子 佳子内親王のお印でもあります。
これからも、ゆうなんぎいを宜しくお願致します。

琉球在来豚「アグー」しゃぶしゃぶコース

わずか1%しかいない唯一無二の「アグー」
レアしゃぶしゃぶ

Q1.和豚とは何ですか。
一般的に食されている豚のほとんどは輸入豚の「洋豚」と呼ばれるものです。
スーパーなどで見かける「国産 三元豚」などは、海外が原産の3種類(三元)の豚を交配させた日本生まれの豚(洋豚)です。
これに対して日本が原産(在来種)の豚を「和豚」と呼びますが、沖縄のアグー豚が「最後の和豚」と呼ばれています。
Q2.他のアグー豚と何が違うのですか。
流通している99%のアグー豚は、1~2種の洋豚と掛け合わされたものです。
これに対して、ゆうなんぎい鶴舞店でご用意している「アグー」は、厳選した特別なアグー豚です。
これが「幻の豚」と呼ばれる由縁です。
Q3.どうしてレアでしゃぶしゃぶを食べられるのですか。
一般的な洋豚は、殺菌のため十分加熱する必要があります。
しかし、「アグー」は、洋豚などに比べて大腸菌などが1/10以下のため、牛肉などと同様にレアで食べることができます。
Q4.どんな味ですか。
肉質はやわらかく、香り豊かな濃厚な旨味と良質な脂の甘みがあり、それでいて臭みは少なくさっぱりとした後味が特長です。
また、他のお肉に比べて融解度(とける温度)が34度ととても低いため、消化がスムーズで胃もたれがありません。
コラーゲンが豊富で手コレステロールなので、美容や健康を大切にしている方にはぜひご賞味いただきたい一品です。
Q5.どんな食べ方がお薦めですか。
「アグー」は上質な肉質で臭みがなく、余計なものが一切含まれないため、沸騰した出汁に2~3秒くぐらせ生ハムのようなレア状態でお召し上がりいただけます。
当店では希少価値の高いなアグー豚の旨味を余すことなく堪能でき、他の銘柄豚との食べ比べも楽しめるしゃぶしゃぶコースをご用意しております。



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